生理中の参拝がNGと言われている理由は
「ケガレ」ているからとされています。
ケガレとは気が枯れると書いて
「気枯れ」と読みます。気とはエネルギー。
元気がない
やる気が出ない
気力が湧かない
などのように、私達は日常でも
「気」について感覚で
わかっているんですよね。
つまり、
気が枯れてる状態っていうのは、
体や心が弱っている状態をさします。
この「気枯れ」の捉え方において
たくさんの情報や説があるため、
どれが正しいor間違っているという
疑問や不安がうまれているのだと思います。
私としては、これらのどれが
正しいor間違っているというよりも、
どの視点でみている捉え方なのか
って部分だと思うのです。
気枯れている状態で神さまや
神域に近づいてはならないという捉え方や
神域に正常(清浄)ではないものを
持ち込んではならないといった捉え方は
神さまを敬い、
深い信仰を捧げる
人間側の視点。
心から信仰しているからこそ、
尊敬し崇拝する大切な神さまに
失礼なことをしてはならないという
捉え方の流れがうまれた気がします。
それでは、別の視点だとどうなるのか?
昔は今のように車や電車などが
あったわけではないので、
参拝をするのはとても大変だったはずです。
神社仏閣は神聖な場所に
建っている事が多いため、
深い山の奥で険しい山道を
登ったりしなければなりません。
そうした事から、気が枯れている
(心身ともに弱っている)状態での
お参りはとても危ないので、
無理してお参りしなくていいから
ゆっくり休みなさい、もっと自分を労りなさい、
という意味で気枯れ中は
参拝しなくていいよ、という
私たちの身体を気遣った
いたわりの捉え方は
私たち人間を心から愛し、
労り、気遣う神仏側の視点。
つまり、どちらが正しいというよりも、
神仏を大切に想う
人間側の視点ゆえの配慮なのか、
人間を大切に想う
神仏側の視点ゆえの労りなのか、
という視点の違いなだけだと私は思っています。
そして、大きな視点として
この二つの捉え方があり、
そこに更に時代の移り変わりや
人間の都合などが複雑に絡み合い、
気枯れ=穢れ・汚れ(不浄)という認識も
入ってきたのかもしれません。
たとえば仏教における女人禁制。
これも元々本来の仏教にはこうした教えはなく、
禁止した明確な理由も明言は難しいそうです。
でも仮に理由を推測するならば、
修行において煩悩(性欲)を絶つためや、
愛する女性と共にいたいが為に修行から
逃げたくなる思いを律するためなど
女性差別やケガレという意味ではなく、
自分自身を戒めるという意味で
女人禁制という流れがうまれたと
推測することもできるのかなって気がします。
まぁあとは、男性女性それぞれの
エネルギーの質の違いなども
もしかしたら修行に密接に関係していた
とかもあるかもしれません。
ただ理由はどうあれ、
それをどう捉えるかは
すべては人次第です。
女人禁制という流れから
女性差別や軽視や男尊女卑に
繋げて考える人も出てくるでしょうし、
それに伴うどちらが正しいのかという賛否。
こうした流れもまた絡み合い、
ケガレにおける認識もたくさんの情報や
何が正しいという正負論が
うまれてしまったんじゃないかなと思います。
そして更にもうひとつ。
(まだあるんかいww)
あなたの世界は
あなたが信じていることで
創られています。
なので、生理の時に参拝するのは
神様に失礼なことであり、
怒られたり罰があたる、
と信じている人が参拝すれば
そう感じる現実になります。
昔の人で仮に、とても信仰心があつく、
生理中や体調が悪くてもかかさずに
お参りをしていた人がいたとして、
参拝中に具合が悪くなったり、
道中で転んで怪我をしたりなど
あった時に限って生理中だったなら、
それを結びつけて考えるかもしれません。
現代の私たちでも、たとえば
毎朝の占いで悪い内容だったら、
電車遅延や忘れ物をしたとか、
やたらと赤信号につかまるなどあったら、
やっぱり占いの通りで、
今日はついてないって
結びつけて考える事ありますよねw
なので実際には気が枯れている
(心や体が弱っている)状態ゆえに、
本調子ではない為、具合が悪くなったり
転んで怪我をしたりしたとしても、
神さまに失礼なことをしたから
罰があたった、怒らせてしまったと
思えばそれがその人の真実になります。
同じ状態であっても、
あー疲れがたまってたからだな、とか
生理痛けっこうきつかったもんな、
って思う人はそれがその人の真実になります。
何度も言いますが
どっちの考え方が正しいとか
間違っているって事ではないんです。
そして、そこに更にもうひとつw
(まだあるんかいwww)
自己信頼値(自分を信じる・自信)の低い人は
自分軸ではなく他人軸での生き方が強くなります。
【関連記事】
自分軸と他人軸の違い
そうすると、自分よりも他人の
意見が正しいと思いやすくなります。
生理中の参拝についても
これだけ賛否両論やいろいろな情報が
絡み合っているので、自分ではなく
他人の意見が正しいとするならば、
更に様々な考えがうまれるのも当然です。
この人がこう言ったからこれが正しい
あの人はああ言ってるから
あなたのそれは間違っている
といった、本来の視点とはかけ離れた
どっちが正しいか合戦もうまれたりします。
そんな感じでまとめると、
神仏を大切にする人間側の視点ゆえの配慮と、
人間を大切に想う神仏側の視点ゆえの労り、
そこに複雑に絡み合う時代や人の移り変わり、
そして自分の信じている事からうまれる現実創造、
これらが絡まって生理中の参拝の賛否も
いろいろな意見がうまれているんだと思います!
長くなりましたが、自分が何を思うのか、
自分が採用したいと思う意見・視点は何なのか、
自分はどうなのかという部分を
大切にしてほしいなってのが結論です(笑)
あ、なので、この内容についても
しっくりきたならしっくりきた部分だけ
採用してもらえたらなって思います♪
もこが言ってるから信じるとかなら
その信じ方は私的にはノーセンキューです(笑)
自分の感覚を大切にしてください。
いろんな人の意見を聞いた中で、
どの意見を採用するか決めたのは
自分だという自覚を大切にしてください。
神仏はどんな時もあなたのことを
見守ってるから大丈夫よん^^
↓動画でも解説してます↓
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